本記事はROOMIEらしいレビューを含んだ、短編小説です(全3話完結)。
主人公は、家にいる時間が増えたことで、フットワークが重くなり“諦め癖”がついてしまったと悩む29歳の小春(こはる)。
なんともパッとしない、繰り返しのような日々に変化が訪れたきっかけは
古びた“りんご箱”でした。
――もし、これが私の部屋にあったら。
スマホの中で見つけた家具に思いを馳せてみる。目に止まったのはアンティーク風の棚だった。投稿文を読んでみると、りんご箱をDIYしたものらしい。
シンプルながら使い古した雰囲気が可愛い。りんご箱のDIYは安価で挑戦ができるそうだ。
「もし、DIYしたりんご箱が私の部屋にあったら……」
なんて想像をしてみるけれど、この狭いワンルームにりんご箱をセンスよく配置するなんて私にはできない。DIYの経験もゼロ。
いくら安価で簡単に挑戦できるとしても、下調べや準備を考えた途端、面倒くさくなった。まあ、いつか挑戦するとしよう。
そっと画面を閉じる。Uber Eatsで頼んだ中華丼と餃子を食べながら、Netflixで今ハマっている韓国ドラマを見る。
ホラーとミステリーを融合したような物語で、夜に見るのは少し刺激が強いかもしれない。
だけど、心のどこかで刺激を求めている私がいる。
*
「だーかーらー、小春も“推し”をつくりなよ」
休日の昼下がり。同期の澪(みお)は、ボンゴレスパゲティをくるくるとフォークに巻きつけながら言った。
彼女は今「推し活」に力を入れているようで、私と会うたびに推しの男性アイドルグループについて語ってくれる。
新卒で食品メーカーの会社に入社してからもう7年。
澪は社内でも一番仲がよく、仕事終わりや休日にもちょくちょくご飯を食べに行く間柄だ。今日は気になっていたイタリアンを食べに行こうと、表参道までやってきた。
「推しかあ……」
カルボナーラを口に入れる。モチモチの麺にソースが絡んで美味しい。
「最近『暮らしがマンネリ化してる』って言ってたじゃん。推しがいるだけで、毎日楽しいよ」
「うーん。分かってはいるんだけどね」
「またそんなこと言って。すぐに諦める悪い癖がついてない? 無理にでも自分から楽しみ作っていかないと、どんどんフットワーク重くなるよ」
澪の言葉はごもっともだ。私だって本当はさまざまなことにチャレンジしたい。
だけど、家にいる時間が長くなった影響か、フットワークが重い日々が続いている。
人と会わなくてもオンラインで全て完結する時代。雑誌をめくって、SNSをスクロールして、「今度はここへ行こう」と胸をときめかせていた私は、どこに行ったのだろう。
「行きたいお店リスト」はどんどん溜まっていき、今じゃ更新もしなくなった。
フットワークが重くなった影響で、「可愛いな」「おしゃれだな」と思うものに出会っても、「どうせ人に会う機会が少ないから必要ない」「私には似合わない」「面倒くさい」とすぐに諦めたり、先延ばしをしたりする癖がついてしまった。
“楽しむこと”がすっかり下手になっている。
「渋谷に用事がある」と言う澪と別れたあと、表参道周辺をぶらぶら歩く。
休日なこともあり、広場の一角ではマルシェが開催されている。
有機野菜、天然酵母のパン、手作りのアクセサリーや小物。どれも私が好きそうなものばかりだ。
そういえば、昔はよくマルシェに通っていたっけ。行こうと思えばいくらでも行けるのに、何かの用事で外に出ない限り、ウロウロしなくなった。
「こんにちは。よかったら見て行ってくださいね」
たまたま通りかかったブースの前で声をかけられた。
小さな店内には器やコーヒーサーバー、ティーポットなどが販売されている。
ふと、ディスプレイに使われている木製の棚に惹かれた。これってもしかして……。
「この棚、使わなくなったりんご箱をリメイクしたんですよ」
じっと見つめすぎていたのか、店員さんが声をかけてくれた。
「あ、そうなんですね」
やっぱりそうか。「りんご箱」というワードに、先日見た写真を思い出した。
濃いブラウンに塗られている箱は、年季の入ったアンティーク家具のような雰囲気を醸し出している。
「ご自身で作られたんですか?」
「はい。といってもりんご箱にやすりをかけて、好きな色に塗っただけなんですよ。めちゃくちゃ簡単なので、お姉さんもぜひ」
「ありがとうございます」と返事をしたものの、どのサイトから箱を買えばいいのか。
サイズはどのくらいなのか、塗料の色は、メーカーは、完成したら部屋のどの位置におこうかなど、考えないといけないことが一気に頭の中に浮かび、すぐに「やるぞ」と思えなかった。
どうしても軽やかな一歩が踏み出せない。
再度お礼を伝えて表参道駅へと向かう。
「最近何かに挑戦したのはいつだっけ?」と考えてみたけれど、思い出せなかった。
**
「これ、りんご箱ですか?」
背後の声にハッと振り返ると、ほんのり日焼けした顔の青山くんが、私のパソコン画面を覗いている。
お昼ご飯を食べ終わり、まだ時間が余っていたのでネットサーフィンをしていたタイミングだった。
昨日のマルシェの余韻から、思わずインスタでりんご箱を検索してしまった。
「……え? ああ、うん。そうだよ」
「小春さん、りんご箱に興味あるんですか?」
昨年この新宿支社の広報部に異動してきた後輩の青山くんは、多趣味でフットワークが軽い。
アウトドアをはじめ、料理、ファッション、アートなど、さまざまな趣味を持っている。
先週末は山に登ってきたそうだ。日差しが強く「焼けてしまった」と今朝話していた。
「いや、見てただけだよ。青山くんは興味あるの?」
「実は友達の実家がりんご農家だったんですよ! だからすごく懐かしい気持ちになって。箱をDIYしてインテリアとして使う人も多いですよね」
テイクアウトしてきたアイスコーヒーをストローで吸いながら、青山くんは私の隣の席に着く。
一緒に仕事をする機会も多く、年齢も2歳しか変わらないため、たわいもないことを話す仲である。
「りんご箱って丈夫だし、塗料によって雰囲気もガラッと変わるからいいですよね」
そう言ってスマホを操作し始める。
すぐに「いいなあ」と声が聞こえてきて、りんご箱のDIYについて調べていると察しがついた。
好奇心旺盛で興味があることはすぐに調べる青山くんの姿に、思わず尊敬の眼差しを向けてしまう。
しばらくすると「僕もりんご箱のDIYやってみようかな」という声が聞こえてきて、思わず「え?」と言いそうになった。
「ちょうど棚を買い替えたいと思ってたんですよ。コーヒーの道具や豆を置くのに良さそう。小春さんどう思います?」
くるりとこちらを向いた青山くんの瞳はキラキラと輝いている。
フットワークの軽さが眩しくて、すぐに返事ができなかった。
「中古のりんご箱を買って、一度解体してキレイにしてから、自分で組み直す人もいるらしいですよ。でも僕はそこまでこだわりがないので、すぐに作れそうです」
「……青山くんのフットワークの軽さ、いつ見ても尊敬する」
「僕なんて全然ですよ〜。気になることをやってみるって楽しいじゃないですか」
にっこりと笑い、青山くんはスマホを触る。
しばらくすると「よし、とりあえずりんご箱だけ注文しました!」と私に注文完了画面を見せてくれた。
「もう注文したの!?」
早すぎる行動に、思わず大きな声が出てしまった。
「塗料の色はもうちょい調べてみますけど、やりたいときが吉日なのでやってみます。DIY久しぶりだから週末が楽しみだな。自分で色を塗ると愛着も湧きそう」
ここ1年、青山くんの隣に座っていると、彼の暮らしを楽しむスキルの高さをひしひしと感じる。
反対に、私はこの1年で何ができたのだろう。
いつもと同じように、先延ばしをしそうになる自分。面倒くさがらないでなんだってやればいいのに。
じゃないと私はこの先も、ずっと手応えのない刺激ばかりを掴んでしまう。
「小春さん、ここのサイト新品のりんご箱から中古の箱まで幅広く取り扱ってますよ」
「作りたい」なんて一言も言っていないのに、青山くんはさらりと情報のシェアもしてくれた。
注文ボタンを押したら、今週末には私もりんご箱のDIYができる。理想はこんなにも近くにあるのだ。
「小春さん?」
私も、青山くんみたいに暮らしをもっと楽しみたい。
小さく「やってみようかな」という気持ちがふつふつと湧いてくる。この感覚、随分久しぶりだ。
立ち止まったままの背中がふわりと押された気がした。
***
週末はDIY日和と言わんばかりの晴天だった。朝から窓を大きく開けて、洗濯や掃除を済ます。
土曜日からテキパキと動く休日は久しぶりだった。
青山くんに「私もやってみようかな」と言うと、手順や必要なものを教えてくれた。
仕事終わりにりんご箱や塗料を注文したり、アドバイスを受けたりしているうちに、次第に気持ちがワクワクしてきた。
「よし、始めますか」
軍手をはめて、中古のりんご箱を前に気合を入れる。
DIYするりんご箱は、新品のものから中古のものまで、実にさまざまな状態がある。
「好みに合わせて箱の状態を選ぶといいですよ」と青山くんにアドバイスをもらい、私は使い古した雰囲気にしたかったので中古の箱を選んだ。
中古だと汚れやホチキスが飛び出ているので、まずは危険な部分を取り除き、お風呂場で洗浄をする。

チョークやマジックの跡が残っているのも、中古りんご箱の魅力
洗浄後、ベランダでりんご箱を乾かしている間に、お昼ご飯を食べた。
カーテン越しにぼんやりと見えるりんご箱を眺めていると、自分がプチDIYをしているなんて信じられない気持ちになった。
DIYなんて縁がないと思っていたのに、これから私はやすりをかけて塗料を塗ろうとしているのだ。
乾いたりんご箱を運び入れ、紙やすりで表面をなめらかにしていく。
ガリガリと削っていく作業は不思議と心が落ち着いた。ツヤが出てくると同時に、目の前の箱に愛着も湧いてくる。
やすりがけが完了すると、一番の山場である色を塗る作業だ。
塗料はブライワックスの「ジャコビアン」を選んだ。ブライワックスの種類は多いので、あらかじめどんな雰囲気にしたいかをイメージし、レビューなどを見て選ぶのがおすすめである。
「ジャコビアン」はダークチョコレートのようなこげ茶色で、アンティーク風の雰囲気が出せる。ハギレに染み込ませて、りんご箱に伸ばしていく。
板に塗料が染み込んでいき、箱の雰囲気が次第に変わっていく。
全体に塗り終えたら乾かして、最後にたわしで磨きツヤを出す。磨くことで色移りもしづらくなるそうだ。
ただし、どれだけ擦ってもブライワックスは色移りをしてしまう可能性があるという。完成後、床に置く際にりんご箱の下にシートを敷くのがおすすめだ。
「できた……!」
終わった頃には日はとっぷりと暮れていた。スマホもテレビも見ずに、何かに集中して取り組むのはいつぶりだろう。
たった数時間なのに、充実した気持ちでいっぱいになった。
完成したりんご箱はイメージ通りで可愛い。
「こんなに簡単なら、もっと早くやればよかった」
あれだけ腰が重かったのに、いざ始めてみればなんてことはなかった。1日、または2日もあればりんご箱のプチDIYはできてしまう。
中古ではなくて新品の箱を使えば、洗浄ややすりがけの作業も省ける。数時間で憧れが手に入るのだ。
なんで私はすぐに「できない」と思っていたのだろう。「やってみたい」と思っていることは、想像以上にすぐにできるんだ。
暮らしを楽しくするのは、ほんのちょっとの勇気なのかもしれない。
滞った水の流れが、ゆっくりと動き出したと思った。
完成したりんご箱の収納スペース
完成したりんご箱の写真を撮った。週明け、青山くんに見せてみよう。
本当は、私には「暮らしでやってみたいこと」がたくさんある。腰が重くてすぐに諦め、先延ばしをしてばかりだったけれど、これからは“初めてのチャレンジ”を積極的にやってみたい。
うまくいくかは分からない。失敗するかもしれない。ただ、今日1日の充実した気持ちはいつまでも私の心に温かく残っている。
今からでも遅くないよね。
開けっぱなしにしていた窓から心地いい風が入った。夏の匂いがした。
▼小春が使用したアイテム
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