「詩人の菅原敏さんです」と紹介されるとき、多くの人の頭の上に「?」が浮かんでいるのに気付くことがあります。

「どうやって暮らしているんだろう?」その疑問はたいてい口から出ることなく飲み込まれ、それとなく軽い大人の挨拶を交わしたり。

だけど、ふと自分の周りを見渡すとあまり一般的ではない職業に就いている友人が多いなあと、あらためて。

みんなはどんな場所で、どんな風に仕事をしているんだろう。何に導かれてそこに辿り着いたんだろう。

一風変わった彼らの職業と、その生き方を紐解く連載。お付き合いいただけたら幸いです。

さて、今日はこれから東京駅前の路上へ。ストリート育ちの職人さんと待ち合わせです。

_2015.10.29 菅原敏

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菅原敏(すがわら びん)

詩人。アメリカの出版社PRE/POSTより、詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。新聞や雑誌への寄稿・連載執筆のかたわら、スターバックスやビームスなど異業種とのコラボ、ラジオやTVでの朗読、デパートの館内放送ジャックなど、詩を広く表現する活動を続けている。Superflyへの作詞提供や、メディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術館でのインスタレーションなど、アートや音楽との接点も多い。

◆菅原敏 Twitter:https://twitter.com/sugawara_bin


第2回目の職業は「靴磨き職人」

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長谷川 裕也(はせがわ ゆうや)

”日本の足元に革命を”と、東京/青山に、Brift H(ブリフトアッシュ)をオープン。靴磨きの高い技術はもちろん、BARのごときカウンター越しにシャンペンを振る舞い会話をしながら磨くという新しいスタイルを打ち出す。彼を慕うシューシャイナー(靴磨き職人)の集団と、足元に革命を起こす。

Brift H:http://brift-h.com/


1回目の茶人編に続き、『詩人 菅原敏の職業図鑑』第2回目のゲストは、靴磨き職人の長谷川裕也さんです。

青山の骨董通りにある「Brift H(ブリフト アッシュ)」というラグジュアリーな靴磨きショップを経営するオーナー兼靴磨き職人。キャリアのスタートは、路上での靴磨きからというから驚きです。

長谷川さんが靴磨き職人になった理由とは? どのようにして青山にお店を構えるまでに至ったのか? まず最初に向かったのは、長谷川さんの原点である東京駅・丸の内の路上。

前編・後編の全2回に分け、詩人・菅原敏が長谷川さんの過去と現在を紐解いていきます。


「靴磨き」とは無縁だった製鉄所時代

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長谷川さんの靴磨きの原点、東京駅・丸の内

菅原敏(以下、菅原):ここで靴磨きをしていた…?

長谷川裕也(以下、長谷川):はい、ちょうどこの角ですね。

菅原:俺の中では、長谷川さんはどこかミュージシャンのようなだなと思っていて。というのも、始まりは路上だったわけですよね?

長谷川:そうです。

菅原:いまでは青山の骨董通りにお店を構えるだけでなく、全部で3店舗を運営している。ある意味ストリートからのメジャーデビューというか。いまではハイファッションのブランドともコラボをしたり、靴磨き業界でも周りをを引っぱる存在として、新しい切り口を生みだして開拓している。

長谷川:まだまだですけど。

菅原:でも、やっぱり気になるのは「なぜ、靴磨きを始めたのか?」ですよね。

長谷川:ちょっと長い話になるのですが…。18歳のときに商業高校を卒業して、ある製鉄会社で三交代勤務をしていた時期がありました。

菅原:おぉ……そんな時期があったんですね。

長谷川:その会社で働きながら、休日はスケボーばかりしてました。いつかは東京に出て、商売をしたいという気持ちはあったのですが、自分には何の能力もないというか、何か特別なものがあるわけではなかった。ひとつの夢として、漠然と商売がしたいという感じでした。

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長谷川:当時働いていた製鉄所は、生活のために働いている人がほとんどでした。誰も仕事を楽しんでいる人はいなかった。休みになると、スナックに行って、パチンコをして、というのが職場の人たちのライフスタイル。

でも、あるとき社外から働きに来ていた人がいました。髪が長くて、ちょっとチャラくて、しかもすごく態度がデカイ人だった。

菅原:苦手なタイプだった?

長谷川:そうですね。すごく苦手でした。でも、結果的にその人との出会いが僕の人生を変えてくれました。

人生を180度変えた「ある出来事」とは?

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長谷川:その人は、社外の人なのに僕に対してすごくエラそうだった。同じチームで作業するのがすごく嫌だったんです。でも、あるとき、その人が仕事の休憩中に英語の勉強をしているのを見かけたんです。

菅原:ふむふむ。

長谷川:もうビックリしました。それまで、会社の中で勉強する人なんて見たこともなかったから、「こんなところで何してるんですか!」って感じですよ(笑)。

菅原:なぜ勉強をしていたんですか?

長谷川:その人はずっとサーフィンをやっていたらしくて、オーストラリアにワーキングホリデーに行くために勉強をしていました。製鉄所で働きながら通信で大学にも通い、経済学を学んでいるとかで、将来は貿易会社をつくるのが夢だって語っていました。それを聞いた瞬間、「あ、この人かっこいい人だ!」って(笑)。

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長谷川:そのときワーキングホリデーという制度を初めて知りました。自分もすぐに行きたくなりました。その日は気持ちがあまりに高ぶりすぎて、話を聞いた日に近くの英会話教室に行って、ワーキングホリデーの申込と英会話を始めたんです。

菅原:思ってから行動までが早いなあ。

長谷川:そうですね。でも、結局はワーホリには行きませんでした。

菅原:どうして?

長谷川:そのあとも三交代勤務を続けながら、英会話をしてワーホリに行く準備はしていました。そんなとき、新聞の折り込みチラシに「英語を勉強しながら働ける」という求人を見つけたんです。

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長谷川:給料のところに「週給10万円」とあって、当時が月給11万ぐらいだったので、そのうたい文句にビックリしました。すぐに話を聞きに行ったら、英会話教材を売り歩くフルコミッションのセールスだったんです。

菅原:路上でアンケートとかするやつですね。

長谷川:そうです。いま考えると、大変そうなのはすぐ分かるんですが、当時の僕はそれに飛びついちゃって。それで、製鉄所を辞めてその会社に転職することにしたんです。

菅原:やっぱり思い切りがいいですね。

長谷川:そこから1年半ほどフルコミッションの仕事をしたんですが、当時19歳で会社最年少の役職者にまでなりました。

菅原:それはすごい。

長谷川:向いていたのかもしれないですね。ただ、フルコミッションのセールスは想像以上に過酷だった。あまりに働きすぎて体調も崩しました。で、親からの反対や、その他にもいろいろな理由があって、結局20歳のときに会社を辞めました。

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路上時代に使っていたブラシ

長谷川:仕事を辞めたあと、次に何をしようかいろいろ考えたんです。23歳ぐらいで会社は作りたかった。そのためにはかっこいいスーツを持っていないといけないとか、やっぱり固定給が欲しいとか、あとは洋服が好きだったこともあって、アパレル系に就職しようと決めました。

でも、思ったように採用はもらえませんでした。貯金も底をつきかけていた。いよいよ金銭的に追いつめられたとき、すぐにお金になることをしないといけなくなって、それで「靴磨き」を始めたんです。

菅原:ここでようやく「靴磨き」が登場というわけですね。

長谷川:すみません、話が長くなっちゃって…。立ち話もアレなので、青山に二つ店舗があるのですが、2店舗目の「The Bar」へご案内します。

なぜ、靴磨きだったのか?

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2店舗目の「The Bar」。青山の洋服屋の中にある常設の出張ショップ

菅原:靴磨きというアイデアは、すぐに浮かんだのですか?

長谷川:その日に商売になるものは何だろうと考えて、3つぐらい思い浮かびました。1つは、商品券を金券ショップで安く買って百貨店で現金化する作戦。2つめは、路上での肩もみ。理由は、折り畳み椅子1つでできるから。そして、3つめが靴磨きでした。

菅原:1つめは無茶だと思うけど(笑)おもしろいですね。最終的に靴磨きにした理由は?

長谷川:フルコミッションの営業時代から、靴磨きが好きだったんです。自分の靴だけでなく、部下の靴も磨いてましたから。靴磨きをやろうと思って、すぐに100円ショップで靴磨きセットと、お風呂場の椅子を2つ、あとは家にあるもので看板をつくりました。

菅原:そして、靴磨き職人としての初日。まずは東京駅の丸の内へ向かったと…。

長谷川:はい。ひとりでは心細かったので、仲良しの友人を誘いました。初日は、2人で7千円の稼ぎでした。思いつきで始めたのに7千円も稼げたことにビックリして、「これはやっていけるかも…」って思うようになり、それから毎日同じ場所に行くようになりました。

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当時の様子を収めた写真

長谷川:友人は大学生だったので、2、3ヶ月ぐらいでフェードアウトしていきました。その頃には僕もアパレルへの就職が決まっていたので、普段は服屋で働き、休みの日だけ路上で靴磨きをする生活をしていました。

菅原:就職が決まったあとも続けるということは、そのときから「靴磨き」がビジネスになるという直感があったとか?

長谷川:いえ、はじめは全然なかったです。でも、「これが長く関わる商売になるかも」という予感は、スタートしてから1年後ぐらいに芽生えてきましたね。

「靴磨き職人」としての自覚の芽生え

菅原:何かきっかけがあったんですか?

長谷川:接客でいうと、英会話の営業時代から大学生とか若い人が得意分野でした。でも、靴磨きに来る人って、みんな年齢層が高いんです。しかも、社長や役員といった偉い人ばかり。

勤めていた服屋もけっこう単価の高い店だったので、年上の人と接することが多かった。だから靴磨き自体が、接客の勉強にもなっていたんです。いつかは自分で商売をするのが夢だったから、いろんな社長さんの話を聞けるのも楽しかった。だから、服屋で働きながらも、靴磨きを続けていたんだと思います。

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長谷川:でも、冬になったとき、外が寒いためか立ち止まる人がいなくなった。凍えそうになりながら外で待っていても、1日に1人しか来なかったときは、さすがに心が折れそうになりました。そのときは本気で靴磨きを辞めようと思いました。

それで辞める前に、はじめて場所を変えてみたんです。新宿は怖い人たちが来てダメでした。赤坂は靴磨きができる雰囲気じゃなかった。で、品川の港南口に行って、ここでダメだったら諦めようと思っていました。そしたら、そこですごくお客さんが増えた。そのあたりから靴磨きへの考え方が変化した気がします。

菅原:靴磨きを”職業”として考えるようになったと。

長谷川:そうですね。丸の内での1年間は、自分で思いついたことが楽しかったのもありました。会社でも、靴磨きのことを話題にしてくれるから、ちょっといい気分になったり。ある意味、仕事というより「人生勉強」のような感覚でした。

でも、品川に移ってからは、毎週同じ曜日に路上に出て、靴磨きのお客さんに顔を覚えてもらう努力をしていました。そのうち大企業の執行役員の人から、「うちの会社に磨きに来てよ」って声をかけられて、はじめて法人出張をしました。またあるときは、品川に住む社長さんから「家に30足あるから磨きに来い」と声をかけていただいたのをきっかけに個人出張も始めた。

そのあたりから「靴磨き」にはいろんなビジネスチャンスがあるというのを知りました。その心境の変化は、すごく大きかったですね。

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長谷川:そして、22歳のときに「靴磨き.com」というサイトを立ち上げました。当時、靴磨きの専門サイトって他にはなかったと思います。靴磨きのノウハウを載せたり、ブログを書いたりですね。そのブログを立ち上げたぐらいでアパレルの会社を退職して、サイト運営と路上の靴磨きだけでやっていこうと決意しました。

菅原:「靴磨き.com」では何かを売ったり、オンラインで商売もしていたのですか?

長谷川:その通りです。路上だけでなく「靴磨き.com」も商売として考えていました。その当時、靴磨きの宅配サービスはどこにもなかったと思います。出張も受けつけていました。

靴磨きのノウハウを載せて、靴磨きに興味のある人を集客し、サービスを受けたい人はオーダーできる仕組みです。いまでは当たり前の方法ですが、当時の靴磨き業界ではあまりなかったやり方でした。

菅原:そのサイトはもうクローズしたんですか?

長谷川:完全に閉鎖しました。というのも、「靴磨き.com」のPV数は多かったのですが、「ブリフト アッシュ」のブランドイメージとは少しズレがありました。結局、青山の店を始めた1年後にはURLごと消すことで、完全に「ブリフト アッシュ」とは切り離しました。それが24歳の頃になります。

菅原:なるほど。せっかくなので、青山の本店も案内していただけますか?

長谷川:はい、もちろんです。

後編へつづく

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