『詩人 菅原敏の職業図鑑』とは、詩人の菅原敏がすこし変わった職業の人を訪ねて、彼らの職場でインタビューをする連載企画です。
詩人。アメリカの出版社PRE/POSTより、詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。新聞や雑誌への寄稿・連載執筆のかたわら、スターバックスやビームスなど異業種とのコラボ、ラジオやTVでの朗読、デパートの館内放送ジャックなど、詩を広く表現する活動を続けている。Superflyへの作詞提供や、メディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術館でのインスタレーションなど、アートや音楽との接点も多い。
◆菅原敏 Twitter https://twitter.com/sugawara_bin
第1回目のゲストは、茶人・松村宗亮さん。全3回にわたってお送りします。
茶人 SHUHALLY代表。
伝統を重んじながらも“茶の湯をもっと自由に!もっと楽しく!”というコンセプトによる活動が共感を呼び、全国の百貨店やギャラリーまた海外からも招かれ多数の茶会を開催。伝統文化によるチャリティイベントを主催するなど、日本文化の新たな伝統の開拓・発信に努め幅広く活動中。
Vol.1では、松村さんの茶室「SHUHALLY(シュハリ)」の「光る茶室」と、茶道に目覚めたきっかけについてお話をうかがいました。
vol.1 『どのようにして「光る茶室」が生まれたのですか?』
vol.2 『Chim↑Pomに茶室の畳を切り抜かれた?』
vol.3 『お茶室は新しい価値観に出会える「非日常の場」』
経営者と茶人の「二足のわらじ」
菅原:海外を巡っていたのは大学生のときだよね。
松村:そうだね。
菅原:大学を卒業してからすぐお茶の道に?
松村:いや、その前に就職してサラリーマンになった。当時は「まだ見ぬ彼女と世界中を旅する」という夢もあったし(笑)。外国人カップルが大きなバックパックを背負って旅してたりするでしょ? あれにすごく憧れたなぁ。
菅原:わかる(笑)。
松村:サラリーマンやりながら、ある事情で父が経営する会社にも籍をおいたり、その会社とは別の家業を継ぐことになって…。そうなるとバランスシートを読めないといけないし、経営にも詳しくならないといけない。だから、社会人になってから社会人大学院で経営学を勉強してMBAを取った。
菅原:MBAを持っている茶人、だいぶ珍しいよね。
松村:どうだろうね。でも、もし持ってるならお茶の先生をやろうとは思わないよね(笑)。初期投資もすごくかかるし。俺の場合は、お茶をはじめる恵まれた環境があった。家業は不動産と飲食業という安定した事業があって、新規事業として「お茶教室」を始められたからね。
菅原:そのあたりもオープンに話して問題ない?
松村:全然大丈夫。家業は昭和3年ぐらいからある会社で、いまは不動産業、飲食業、そしてお茶教室の三事業で展開してる。ホームページにものってるよ。
菅原:そのまま経営者になるんじゃなくて「茶人」になるっていうのが、松村くんらしいというか、かなり独自な道のりだよね。
松村:文学部の哲学科を卒業して、MBAとって、裏千家の准教授だから(笑)。
菅原:もし若い子が「俺も茶人になりたい」って思ったとき、新規参入は難しいけれど、やり方次第ではいろんな道はあると思う?
松村:ある。自宅の和室を使ってお茶教室をやってる人もいるからね。飲食店をやるようなお金があれば、どこかに場所を借りて茶室をつくることはできる。あとは、お道具だね。
うちはいわゆる「古い道具」は持ってない。歴史ある道具はなくて、自分が気にいったものを買いそろえる。だから、うちの茶道具に関してはめちゃくちゃ高いものはないよ。
松村:今はスタッフもいるけど、はじめはすべてを1人でやってた。掃除、お稽古、片付け。そういう小さい規模ではじめるなら可能だと思う。それでも、お客さんが集まるかどうかはまた別の話。
この世界に必勝法はないから。その人の個性もあるし、すごく真面目で教え方が上手でも、その人のお茶教室が繁盛するかどうかはまた別の問題だからね。
おもしろい人々が集まってくる茶室
菅原:俺は詩人として「詩のない場所に詩を届ける」ことにおもしろさを感じるんだけど、松村くんの活動も、一般的な茶人としての範疇を越えたおもしろさがあるよね。もちろん伝統はしっかり守りながら。
松村:そう言われるとありがたいよね。でも、あえて奇をてらってるつもりはない。根っこの部分が「ヒップホップ好きの兄ちゃん」というだけ。もともと持っていた好奇心とお茶がリンクしただけというか…。
いまでもお茶の楽しみ方はエッジがきいてると思うし、ジャンルを超えるっていうのは、結果としてそうなってるだけだったりする。
菅原:いにしえの茶人たちも、昔は同じようなことをやってたわけだしね。
松村:そうそう。当時の表現者たちと一緒にね。アートという概念は明治以降に入ってきたもの。アートという概念がない時代から、日本人は美しいモノはつくってきた。基本的には使えるモノをつくっていたわけだけど、いま振り返れば「千利休はコンセプチャルアートだ」とも言えるからね。
革新性という感覚は当時もあったわけだし、価値がないものに価値をつけるというのは、日本人が古来からもっていた感覚だと思う。
菅原:松村くんのまわりには、おもしろい人たちが集まってくるよね。
松村:そうかなぁ(笑)。どちらかというと、自分から近づいている気もするけど。でも、会いたかった人に会えてるかも。北野武さんもそうだし、Chim↑Pomもそうだし。
菅原:そういえば、Chim↑Pomが茶室の畳を切り抜いていったとか?
松村:そうそう(笑)。世界中のいろんな地域から「パズル型のピース」を切り取って、最終的にそれらで大きな作品をつくるらしいんだけど、うちからは茶室の畳を切り取っていった。代わりに、空いた穴にはChim↑Pomのアトリエの壁がはめ込まれてるよ(笑)。
松村:Chim↑Pomは昔からファンだったから、会えてすごく嬉しかったね。
菅原:俺にとってここはサロンみたいなイメージがあるかな。集まる人はユニークな人が多いし。ここで知りあった美術家さんや陶芸家さんたちから作品の文脈やステートメントなどを直接聞くと、わりと詩と近いなと思うことがあるよ。
かたちは違えど、ふつふつとした表現欲求というのは一緒なんだなと、ここをきっかけで知ることができた。
松村:ここは自由度が高い場所だから。お茶会じゃなくて、飲み会を開くこともある(笑)。お酒をこぼしてもいいように、畳の上に赤いマットを敷いてね。
菅原:マットが敷いてあると「今日はそういう日なんだ」ってわかるよね(笑)。
松村:でも、そういう繫がりからイベントを一緒にできるのは嬉しいね。毎年やってる復興支援のイベント『伝統文化の持つ力』もそのひとつ。横浜の三渓園で計4回、東京の増上寺でも開催していて、菅原くんにはそこで詩の朗読をしてもらったんだよね。
菅原:イベントに誘われたとき、会場がお寺でスペースも広いということもあって普段の朗読会とは違うことが出来る気がして。いつもは「聞かせるための朗読」をしているけど、その対極にある「眠りのための朗読」を思いついたんだ。
菅原:ヨガに「屍(しかばね)のポーズ=シャバーサナ」という眠りを誘う瞑想があるんだけど、眠りのためのアロマも炊きつつ、そのポーズをとりながらリラックスしてもらう。そして徐々に眠りに落ちていく意識と無意識の間に、詩の朗読を送り込むことで、夢をコントロールできるんじゃないかと思って。お寺の108帖の間で、一度死んで、リラックスして生まれ変わるというか(笑)
松村:あれは、すごい光景だった(笑)。
菅原:目の前で100人が川の字でぐうぐう寝るなんて、そうそうない光景だよね。ある種、宗教的な儀式みたいに見えたかも(笑)。でも、すごく楽しいひとときだったよ。
松村:9月26日(土)、27日(日)の二日間は『へうげもの』とコラボして、『へうげOH! 茶湯 2015』という茶人フェスを三渓園で主催することになった。
菅原:茶人フェス?
松村:日本中から「へうげた茶人」ばかりを集めたお茶会。生徒さんの発表会があったり、広島や京都からも変わった茶人が来てくれたり、いろんな人たちと自由なお茶会をやろうという企画。お茶会って聞くと敬遠されがちだけど、うちのお茶会はまったく自由なんで初心者の人もいっぱい来てほしいね。
詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリースし逆輸入デビュー。菅原敏の「詩集」と現代美術家・伊藤存の「刺繍」により実現したアートな一冊として各方面で話題を呼ぶ。
新聞や雑誌への寄稿・連載執筆の傍ら、スターバックスやBEAMS、NIKEなど異業種とのコラボレーション、TV・ラジオでの朗読、クラウドファンディングによるラジオ番組枠の買収、三越デパートの館内放送ジャック、増上寺『眠りのための朗読会』など、詩のない場所へ詩を運ぶ独自の活動を展開している。
Superfly・5thアルバム『WHITE』での作詞や、詩と情報の合間を探るメディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術家との企画展など、アートや音楽との接点も多い。
BS11 すずらん本屋堂「東京古本散歩」ではナレーションを担当中。
◆菅原敏 Twitter https://twitter.com/sugawara_bin