「詩人の菅原敏さんです」と紹介されるとき、多くの人の頭の上に「?」が浮かんでいるのに気付くことがあります。
「どうやって暮らしているんだろう?」その疑問はたいてい口から出ることなく飲み込まれ、それとなく軽い大人の挨拶を交わしたり。
だけど、ふと自分の周りを見渡すとあまり一般的ではない職業に就いている友人が多いなあと、あらためて。
みんなはどんな場所で、どんな風に仕事をしているんだろう。何に導かれてそこに辿り着いたんだろう。
一風変わった彼らの職業と、その生き方を紐解く新連載。お付き合い頂けたら幸いです。
それでは早速、お茶の約束をしている横浜へ。いってまいります。
_2015.8.17 菅原敏
詩人。アメリカの出版社PRE/POSTより、詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』で逆輸入デビュー。新聞や雑誌への寄稿・連載執筆のかたわら、スターバックスやビームスなど異業種とのコラボ、ラジオやTVでの朗読、デパートの館内放送ジャックなど、詩を広く表現する活動を続けている。Superflyへの作詞提供や、メディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術館でのインスタレーションなど、アートや音楽との接点も多い。
◆菅原敏 Twitter https://twitter.com/sugawara_bin
第1回目の職業は「茶人」
『詩人 菅原敏の職業図鑑』の記念すべき第1回目のゲストは、茶人・松村宗亮さんです。
松村さんは、横浜の関内にある茶室「SHUHALLY(シュハリ)」の庵主。裏千家茶道准教授の資格をもつお茶の先生で、多方面で活躍する若手茶人のひとりです。
茶人 SHUHALLY代表。
伝統を重んじながらも“茶の湯をもっと自由に!もっと楽しく!”というコンセプトによる活動が共感を呼び、全国の百貨店やギャラリーまた海外からも招かれ多数の茶会を開催。伝統文化によるチャリティイベントを主催するなど、日本文化の新たな伝統の開拓・発信に努め幅広く活動中。
菅原さんと松村さんの対談を、全3回にわたってお送りします。
vol.1 『どのようにして「光る茶室」が生まれたのですか?』
vol.2 『Chim↑Pomに茶室の畳を切り抜かれた?』
vol.3 『お茶室は新しい価値観に出会える「非日常の場」』
グッドデザイン賞を受賞した「光る茶室」
マンションの一室につくられた「SHUHALLY」。扉を開けるとモダンな「和空間」が広がり、テラスにつくられた庭を通って茶室へ向かいます。
ここが茶室の「躙口(にじりぐち)」。この狭い入口から中に入っていきます。
ここがグッドデザイン賞も受賞している「光る茶室」です。
ガラスやメタリックな素材を使ったモダンなデザイン。黒い畳はLEDで光らせることができます。
まずは、松村さんのたてたお茶で一服する菅原敏。公私ともに仲がいいという二人の対談は、先日松村さんが訪れたパリの話から始まりました。
「茶道」に目覚めたきっかけとは?
菅原敏(以下、菅原):パリにはどれぐらい行ってたの?
松村宗亮(以下、松村):二週間ぐらいかな。
菅原:今回はどんな企画?
松村:漫画雑誌『モーニング』に連載中の『へうげもの』(山田芳裕)という茶の湯にまつわる漫画があるんだけど、その漫画からスピンアウトした企画をパリでもやってみようということになって。
菅原:なるほど。会場はどんな場所だったのかな。
松村:パリの10区にあるギャラリーで、日本語教室や日本史の講座なども受けられる文化教室みたいなところだったかな。いろいろな人がいて、なかなかおもしろかったよ。
菅原:お客さんはどんな人たちが来てた?
松村:若者の中には、日本のマンガやアニメ好きが多かったかな。純粋な陶芸ファンもいたし、もちろんお茶に興味がある人もたくさんいたよ。
日本だとおもしろい茶道具があって、そこから茶道に興味をもつ人が多いんだけど、パリでは道具よりもお茶の精神性や哲学的な意味合い、思想的な背景などに興味があったみたい。日本とは反応が違っておもしろかったよ。
菅原:いろんな国でお茶会をやってると思うんだけど、国によってやっぱり反応が違うんだね。
松村:全然違う。同じヨーロッパでも、スペインはラテンの国っぽくワーワーと騒がしい感じ。「質問ある人いる?」って聞くと、みんなが「ハイハイ!」って元気よく手をあげるし(笑)。
松村:最近はポーランドにも行ったね。あそこは一度国がなくなったり、まわりから虐げられたりと、なかなか厳しい歴史が多いんだけど、実はすごい親日国家なんだよね。
というのも、大正時代に日本だけがポーランド難民を受け入れた背景があるらしく、ポーランド人の中には日本語を話す人もけっこう多かった。
お茶への反応もおもしろくて、お茶会中は無口で真面目な感じ。あまりに静かだから「今日はウケなかったな」なんて思ってると、最後はスタンディングオベーションになったりして「なんだよ、好きなんじゃん!」って(笑)。国によって反応は全然違う。
菅原:改めて、松村くんがお茶の道を志したきっかけを聞いても良いかな。
松村:一般的にお茶をやってる人は、代々お茶をやっている家系がほとんどだと思う。それには当然の理由があって、一からお茶室をつくったり、道具を集めるのはすごく大変だからなんだ。三代前からお茶道具を集めて、やっと人並みのお茶会ができるといわれるぐらい。だから、新規参入はとても難しい世界だったりするよね。
で、うちはまったくお茶をやっていない家系だった。まあ、性格があまのじゃくだからか、そういうことを聞くと余計に燃えてきてさ(笑)。
菅原:(笑)。
松村:もともとは外国文化が好きな普通の若者だった。20代のときは海外へよく行ってたね。でも、海外に行くのはいいんだけど、言葉が通じたところで「語るべきことを自分が持っていない」ということに気がついた。
相手は日本のことを聞いてくる。興味ある人はマニアックな質問もしてくる。でも、それに対して答えられない自分がいる。日本人の立場から意見を伝えたり、どういう考えを持っているとか、そういうものが自分の中に全然なくて「外国に行くってこういうことなのか」と、そのとき初めて気がついた。
それで、日本文化をもっと知りたくなって、帰ってきてからお茶を習いはじめた。お習字、お花は今でも稽古してるよ。
菅原:その中でも、なぜ「お茶」を選んだの?
松村:お茶って、よく「総合芸術」といわれるけど、結局は人を家に呼んで、お菓子を食べて、お茶を飲んでっていう「生活の様式美」だと思う。生活ということは、人間の営みなら何でも取り込める。そういう門戸の広さが他よりもおもしろかった。
いま、お茶の世界に現代美術を取り入れたりしてるけど、やっぱりお茶が持ってる「包容力」があるからこそ実現できることだと思うね。
詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリースし逆輸入デビュー。菅原敏の「詩集」と現代美術家・伊藤存の「刺繍」により実現したアートな一冊として各方面で話題を呼ぶ。
新聞や雑誌への寄稿・連載執筆の傍ら、スターバックスやBEAMS、NIKEなど異業種とのコラボレーション、TV・ラジオでの朗読、クラウドファンディングによるラジオ番組枠の買収、三越デパートの館内放送ジャック、増上寺『眠りのための朗読会』など、詩のない場所へ詩を運ぶ独自の活動を展開している。
Superfly・5thアルバム『WHITE』での作詞や、詩と情報の合間を探るメディアプロジェクト『詩人天気予報』、美術家との企画展など、アートや音楽との接点も多い。
BS11 すずらん本屋堂「東京古本散歩」ではナレーションを担当中。
◆菅原敏 Twitter https://twitter.com/sugawara_bin